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Viaje en Mexico 2012 Dia 2 -PART2-
■2日目(Ciudad de Mexico D.F.〜テオティワカン)
(28 AVRIL 2012)

(この日の写真は、デジカメをなくしたために、残念ながらほとんどありません・・・)

メキシコシティの北部バスターミナルに戻ってきたのは、14:00くらいだったか。まだお昼も食べてなかったし、朝も例のプレッツェルだけだったので、何かお腹に入れようかとも思ったが、それほどお腹が空いてなかったので、セントロまで行ってから何か食べようと思い、そのままメトロに。今日はこの後、メキシコシティの街を散策しようと思っていたので、いろいろなコースが考えられたが、バスターミナルが北部のほうにあることもあって、セントロのやや北のほうにある「トラテロルコ広場」に行き、そこから歩いて南下し、中心部のソカロのほうまで行こうというプランだった。

朝の行きとは全く違って、超込み込みのメトロを乗り継ぎ、トラテロルコ広場に比較的近い「Garibaldi」という駅で降りたのだが、出た場所がさっぱりわからない。昨日の「Insurgentes」もそうだったが、どうもメキシコシティのメトロは、出たところの場所がわかりづらいようだ。これがヨーロッパの街だったら、円上に広がる広場が一望でき、そこから放射状に伸びる通りの名前が道の角に掲げてあるのでだいたいわかるのだが、メヒコの広場はぐるっと見渡せないことが多いみたいで、メトロの出口を間違うと、本当にどこに出たのかわからない。道の名前も書いてあるにはあるのだが、あったりなかったりだし、そもそも僕が知りたい大通りがなぜか見当たらなかったりする。仕方がないので、当たりをつけて歩いてみるが、どうも違う気がする。なんかいきなり商店街のような問屋街のような雑然としたところに出てしまった。そんなこんなでうろうろしたあげく、ようやく「Reforma」(目指す大通りの名前)という案内を見つけ、そちらのほうへ向かって歩くが、その「Reforma」に出てからも、どうも自分の現在位置がわからないし、どんどん人通りは少なくなってくるしで、何となくどんどん間違った方向へ進んでいるような気になってくる。こういうことは、道にほとんど迷わない僕としては珍しく、ちょっと焦る。あるところまで行ってから、おそらくこれはまずいと思い始め、来た道を引き返すことに。地下鉄の駅を降りてからすでに1時間近くが経過しており、さすがにこれはおかしいと思い始めたのだ。しかも暑いし、喉も渇いてきた、ここメキシコシティは、高地で、しかも大気汚染が深刻なので、やたらと喉が渇く。メキシコシティに着いて早々、少しトラブっていた。

でもまあ、神様はそれほど僕を見放さなかったようで、戻ってきた道を帰る途中で、目指すトラテロルコ広場に通じる道を発見。つまり、道を行き過ぎていたのだ。ようやく安心して、トラテロルコ広場へ向かうが、喉の渇きがどうにも我慢できなくなり、その辺の普通の団地の中にある小さな商店を見つけ、そこで飲み物を買った。こんなところまさか観光客なんか来ないので、大丈夫かなと思ったが、普通に買えた。スペイン語少しはやっててよかった~。

トラテロルコ広場は、その昔テノチティトランと呼ばれていたアステカの都市の遺跡の上に、キリスト教の教会を建て、さらにその周辺に巨大な高層団地が建ったという、メキシコの歴史をそのまま凝縮したような場所で、そのため「三文化広場」とも呼ばれている。あと、ラテ研でお世話になっている伊高先生が、若い頃にメキシコで取材をしていた頃に、この地でデモがあり、それを弾圧しようとした軍隊によって流血の大惨事になったという逸話も聞いていた。先生もそのとき、命の危険を感じたくらいで、そんな場所がどんなところなのか見てみたかったというのもある。まあそれほど何があるわけでもないが、ちょっと見ておきたかった場所だったのだ。

トラテロルコ広場を見たあとは、いよいよセントロに向けて歩き出す。まずは先ほど迷い始めたGaribaldiの駅のある広場に向けて南下。しかし、メヒコでガリバルディというイタリアの英雄の名をつけた場所があるとは。もしかして別人なのかな。そんなことを思いつつ、先ほどの広場に着くと、先ほど出た出口が逆方面だったことに気づく。もう一つの出口から出ていればわずか10分程度で着いたのに、なんたることか。まあこれも旅の醍醐味か。さらに、そこから道を下って南下する。ここまで来ると、前方に中南米一高いといわれる「ラテンアメリカタワー」が視界に入ってくるので迷いようがない。さらに道をたどっていくと、何やら軍隊の制服のようなカッコをした人が増えてきた。しかも、何やら楽器を持っている。何かの軍楽隊かと思っているうちに、どんどんそういう人が増えていく。しかも何種類も。そうか、これはマリアッチの楽団なのか。そういえば、この「ガリバルディ広場」というところは、毎晩、マリアッチの演奏が繰り広げられる別名「マリアッチ広場」であった。そのときの時刻はまだ16:00くらいだったが、ガリバルディ広場の周辺にはすでに多くのマリアッチの楽団メンバーが集結してきており、やがて始まるであろう夜のフィエスタに向けて軽くタコスでもつまんで腹を満たしている状態だったのだ。マリアッチにも興味はあったが、まだ演奏が始まるまでには時間があったし、それよりも何よりも、僕はまだメキシコシティの中心部「ソカロ」にすら行っていないのだ。若干後ろ髪引かれる思いのまま、僕はその場を後にして、セントロへと足を速めた。

ガリバルディ広場を後にして10分くらい歩くと、右側に大きな建物が見えてきた。メキシコ一の劇場、イダルゴ劇場とバジャス・アルデス宮殿だ。ちょうどそのバジャス・アルデス宮殿の周辺がメキシコシティ一の繁華街という感じになっていて、先ほどのラテンアメリカタワーがあったり、SEARSというデパートがあったりする。このあたりになると人も多く、この日は土曜日ということもあって、かなりの人出だ。ここからソカロに行くには、どこかの通りを東に曲がればいいのだが、何とはなしに曲がってみたその通りが「Francisco L.Madero」という通りで、おそらくここがメキシコシティ一番のにぎやかな通りだったらしい。ストリートのあちこちでは、大道芸やら露天やら、さまざまなものが出ていて賑やか。歩く人も多くて、まるでお祭りだ。ブエノスアイレスでいえば「Florida」に当たる繁華街で、東京の渋谷とか新宿に匹敵するほどの賑わいだった。その通りを眺めつつ、ソカロに向かって歩いて行った。


ソカロに翻る巨大なメヒコの国旗。これはこれで威厳がある

そうしてやってきたソカロは、なるほどここがメヒコの中心地なのだという雰囲気のある場所だった。ラテ研などで学んだことだが、メヒコの街の中心部というのは、だいたいどこも同じような構造をしている。街の中心部に四角い広場があり、その一面にカテドラルが、もう一面に市庁舎が、という構造だと聞いていたが、まさにこのソカロは、北にカテドラル、東に国立宮殿という作りになっており、いかにもメヒコの街の典型だった。ソカロの広場の中心には、巨大なメヒコ国旗が翻っており、いかにも国の中心部らしい威厳をたたえている。広場には、さまざまな人が集まっており、非常ににぎやか。見るべき場所は多いのだが、すでに時間も夕刻16:30ということもあって、国立宮殿や、アステカ時代の遺跡であるテンプロ・マヨールには入れずじまい。まあ、明日もあるので、今日は無理しなくてもいいか。

露天でにぎわう広場を抜け、ひとまずは広場の北側にあるメトロポリタン・カテドラルへ。ここは、メヒコすべてのカトリック教会の総本山だ。しかしながら、どうも僕には何となく威厳のようなものが希薄に思える。というのも、僕は以前にイタリアに1年暮らしていて、あまりにも多くの由緒ある教会を見てきたせいで、どうもルネサンス期以降に作られた教会に対して、あまり威厳を感じなくなってしまっているのだ。あの国に暮らしていると、そのあたりの歴史感覚が麻痺してくる。なにせ、イタリアには紀元前とかいう遺跡がその辺にごろごろ転がっているのだから。下手したら、キリスト教ですら新しい文化に思えてくる。そう考えると、メヒコのような新大陸など、ほとんど歴史がないに等しい国でしかない。まあ、そう一刀両断してしまっても何もいいことはないのだが、僕はこの点に関しては完全に麻痺してしまっているようで、ほとんど何の感慨も覚えなかった。まあ、教会というのは本来祈る場であって、祈りを持たない僕のような異邦人が入っても、何の感慨も持たないのは当たり前のことではあるのだが。

教会を出た後は、ソカロを離れ、ホテルのあるソナ・ロッサ方面に向かって歩くことにする。ソナ・ロッサまでは軽く2~3kmくらいはあるのだが、僕にとってはこれくらいの距離は普通である。先ほどの「Francisco L.Madero」の1つ北にある「5 de Mayo」という通りを西に向かい、再びバジャス・アルデス宮殿の周辺へ向かう。「5 de Mayo」は、先ほどとは打って変わって静かな通りだ。1本しか道を隔てていないのに、こうも雰囲気が変わるというのもおもしろい。少し上品な感じの通りという具合だ。やがて、バジャス・アルデス宮殿を通過して、アラメダ公園(工事中)の脇を抜けて西へ向かう。アラメダ公園を抜けると、メキシコシティの中心を貫く「Reforma」という大通りに当たるが、それを抜けてさらにまっすぐ行くと、変わった形のモニュメントとなっている革命記念塔に行き着く。ひとまずそこまで足を進めて、写真などを撮る。メキシコシティの見どころはだいたいこんなところだ。少し無駄な時間も使ったりしたが、およそメキシコシティの街の雰囲気や距離感もわかったことだし、このままホテルへいったん帰ろうと、先ほどのReformaを西へと向かった。

事件はこのReformaで起こった。この通りはかなり大きなAvenidaで、ブエノスアイレスでいえば「9 de Juiio」に当たる大通りだ。車の量も多いし、歩道も広くてきれいである。通り沿いには、世界的な大型ホテルチェーンも建っており、どう見ても非常に山の手的な治安のよさそうな場所だ。ホテルのあるソナ・ロッサまではもうあと10分も歩けば着くというところまできて、信号待ちをしている間に一応念のために地図を確認していたところ、後ろのほうから来た男性に時間を聞かれたので、スペイン語で教えてやった。普通ならそれで終わりなのだろうが、その人はこちらに興味があるのかやたら話しかけてくる。どこから来たのか?日本人か、ならばヨーコー・グシケンは知っているか?オレは昔ホテルで働いていたから、彼のことはよく知っている。強いボクサーだったなどなど。で、なぜか執拗にどこのホテルに泊まっているのかを聞いてくる。一瞬思い出せなかったので、ちょっと忘れたとか言っても、しつこく聞いてくる。道を教えてやるとかなんとか言っている。ホテルの名を思い出したので言うと、それならこっちが近いとか何とかいう。僕の考えでは、逆のほうが近いと思うのだが、いや、こっちだと譲らない。まあいい、じゃあそっちに行ってみる。じゃあね。と歩き出すと、「Good luck! Amigo」とか何とか言いながら、その男性は離れていき、バスに乗り込んだ。僕はその人の行き先を目で追いつつも、絶対に方向が違うと思い、きびすを返して正しいと思う道を歩んでいった。

そして、5分後くらい。やっぱり先ほどの男性の言っていたことは嘘で、僕が取った道でやはりソナ・ロッサにたどり着いた。ホテルの近くでちょっと写真を撮ろうと思って、カバンに入れておいたコンパクトデジカメを取り出そうと思ったが見つからない。いくら探しても出てこないのだ。そのとき、あっ!と思った。先ほどの男性、あれはスリだったのだと。確証はない。カバンの中に入れていて、手が入ったりすればすぐに気がつくと思うのだが、そういった感触も一切なかった。でも実際にデジカメはなくなっている。落としたのでなければ、絶対にアイツが怪しい。しかし、そうは思っても、すでに後の祭りだ。まんまと一杯食わされたのだ。僕はあのイタリアでもスリや泥棒に遭ったことは一度もない(正しく言えば一度だけあるが撃退した)。これまでの数々の海外旅行でもそんな経験は一度もなかった。それが今ここで起こったのだ(おそらく)。これはちょっとしたショックだった。しかし、もしこれがスリだとすると、相当なテクニックだ。僕も気をつけていなかったわけではないし、変な動きがあれば見逃すことはなかったと思うのだが、でもまったく気がつかないうちにやられていた。うーむ、さすがメヒコ。一筋縄ではいかないな、この国は。

ホテルに帰ってきてからも、しばらくはデジカメをスラれたことにショックを受けていた。しかもあのデジカメは、この旅行に先立って買ったばかりのデジカメだったのだ。それほど高いものではなかったが新品同様で、ほとんど使っていない。まあそれはいいとして、今日歩いた記録がほとんど消えてしまったのは痛い。幸い、コンデジのほかに、一眼レフも持ってきており、今日もテオティワカンでは要所要所で一眼レフで撮影したのでゼロではないが、行き帰りの道中、テオティワカンでのスナップ写真、メキシコシティの町歩きなどが、コンデジに収められていたのだ。どちらかと言えばそちらのほうがショックだった。今日はサングラスを紛失したことに続き、デジカメまでなくしてしまった。道にもよく迷ったし、何というかツキのない日だった。

しかし、こんなことで初日から落ち込んでいても仕方がない。まだ僕には一眼レフがあるし、もし必要ならコンデジを新たに買うという選択肢だってある。日本と違って、メヒコではデジカメは高そうだが、旅を無駄にしないためには、買ったほうがいい場合だってある。明日、できたら、デジカメを売ってそうな場所を探して、それほど高くなければ買ってしまおう。なくしたデジカメは仕方ない。いいように考えれば、まだ初日になくした分だけダメージは少なかったというべきか。しかも、中に入っていたメモリーカードも試しに入れていた2GBかそこらのもので、本命の8GBのカードは手つかずで残っている。そんなポジティブシンキングでひとまず心を落ち着かせた。

そういえば、今日はまだほとんど何も食べていなかったということに気づき、ホテルの近くにあったタコス屋に行ってみた。このタコス屋、何となく美味しそうな感じはしていたのだが、何しろ一般の外国人とかが入るような雰囲気ではなく、ちょっと入るのに度胸が入ったのだが、今日一日のいろいろあったことが大胆にさせたのか、えいっと入ってみた。とすると、何のことはなく、店員のお姉さんがメニューを持ってきてくれて、しかもご丁寧に英語のメニューも書いてある。と同時に紙を渡され、どうも食べたいメニューの必要な数だけ書き込んで注文するというシステムらしい。何となく日本の回転寿司みたいだ。昨日の夜、2品頼んでかなり多かったので、今日はタコスを1品だけにして、後はセルベッサを頼んだ。これだけで70ペソくらい。やたらに安い。まあこれで少なければ追加でオーダーすればいいわけだし、と思っていたが、出てきたタコスは、日本人だったら1人前くらいで十分な量。しかも、こちらへ来てから、どうもそれほど食欲がないようで、セルベッサと合わせてちょうどいい感じだった。しかも、ここのタコス屋は、タコスといっしょに、いわゆるサルサソースと、付け合わせの葉物も持ってきてくれて、これらは食べ放題。味も非常に美味しくてこれはこれで気に入ってしまった。このお店は当たりだ。僕が食べている間にも、大勢のお客さんが入ってきて、団体さんの座席が足りなくなったので、席を譲って移動してあげたくらい。人気なのもうなずける。


庶民的なタケリアで食べたタコス。ピリ辛のカルネがこれまた美味い! 付け合わせのサルサもbueno!

こうして美味しいタコス屋で食事をすませ、半ば気を取り直した状態でホテルへ帰りバタンキュー。でも、ジェットラグのせいか、空気が薄いせいか、上手く寝付けず、夜中に何度も起きてしまう。せっかくメヒコまでやってきたというのに、いきなり出鼻をくじかれたような気がして、少しショックだったこともあったのかもしれない。でも、明日からまだまだメヒコの旅は続くのだ。
# by cama-d | 2012-05-24 00:26 | Mexico
Viaje en Mexico 2012 Dia 2 -PART1-
■2日目(Ciudad de Mexico D.F.〜テオティワカン)
(28 AVRIL 2012)


とにかく巨大なテオティワカン遺跡

この日は何かとついてない日だった。朝8:00くらいにホテルを出て、メトロ1号線に乗り、途中で3号線に乗り換え、さらに5号線に乗り換えて、北部バスターミナルに向かう。この日はテオティワカンに行くため、ここからバスに乗っていくのだ。初めてのバスの旅だけにうまくいくかどうか。この北部バスターミナルは、すごく広くて、いろんな会社のオフィスが並んでいて、まるで空港だ。「地球の歩き方」には、いろんなオフィスの値段表を見て、好きなバス会社を選べばいいと書いてあったが、どこにも「テオティワカン」の文字がない。おかしいなと思って、再び「地球の歩き方」を見てみると、テオティワカン行きのバス会社は1社のみということらしく、そのオフィスを探してみると、一番左のほう(最初に探していたのと逆方向)にあった。そこでテオティワカン(ピラミデ)行きのチケットを買い(38ペソ)、バスが着くプラットフォームへ。

メヒコは、鉄道がほとんどないので、長距離移動はバスが主役。その分、本数も多いし、快適と聞く。プラットフォームへ入るときには、空港のようなボディチェックがある。何でもバスジャック防止のためだとか。何となくものものしいが、ここメヒコでは麻薬がらみの国とギャングとの抗争や、ゲリラとの抗争がある国だ。まあこれくらいはあって当然だろう。でも、実は後で気がついたのだが、このときにどうやら持ってきていたサングラスをなくしてしまったらしい。これが、この日のツキの悪さの第一弾だった。

しかし、テオティワカン行きのバスが10分くらいで着いたので、朝食を食べ損なってしまった。もう少し時間があれば、ターミナルで何かしらお腹に入れようと思っていたのだが、当てが外れた。まあ待たされるよりはいい。バスが出発してすぐに、物売りのおじさんがバスに乗車してきて、5個セットのキャンディーみたいなものを配り始めた。でももちろんこれは配っているんじゃなくて、買うんだったらお金を払えということだ。10ペソ(100円くらい)と安いので買ってもいいのだが、甘いものは今はいらない。というわけで、おじさん帰り際に配ったキャンディーを撤収して降りる。と思ったら、また違うおじさんが乗ってきて、飲み物を売り始めた。僕は小さなペットボトルの水しか持っていなかったので、朝食代わりにコーラを買った。これも10ペソ。コンビニで買うより安い。そのコーラと、昨日の飛行機で出されて食べなかったプレッツェルとで、軽い朝食を取る。

バスはやがてメキシコシティの郊外へ。どこの大都市もそうだが渋滞がひどくてあまり進まない。そうこうしているうちに、いくつかの停留所で乗客を乗せ、バスの中は乗客でいっぱいに。どこかの停留所で乗ってきたおじさんはギターを持っていたが、混んでいる車内で後ろのほうに分け入っていった後、ギターをかき鳴らしながら歌い始めた。これも、いわゆる商売である。パリとかミラノとかでも、メトロでこういう光景はよく目にしていたが、この混んでいるバスでそれをやるとは。さすがメヒコだ。何気なしに聴いていたが、まあわりかし歌も上手いというか、声がいい。メヒコは歌がうまい人が多い国だということを聞いてはいたが、こういう市井の庶民でもやっぱり歌は上手いようだ。何となく感心した。

やがて、バスは郊外のハイウェイを走り、1時間ちょっとくらいで目指すテオティワカンに到着した。遺跡目当ての観光客はここでみんな降りる。気がつけば、日本人旅行客の姿もちらほら。みんな考えることは同じということか。入り口のところでチケット(51ペソ)を払って中に入る。中に、と言っても、だだっ広い公園のようなところを、ゲートに向かって進んでいくだけだ。ゲートの前には、お約束の土産物屋がずらりと並んでいる。まだ時間が早かったこともあって、お店もまだ開けたばかりという感じだったが、あちこちの店で、日よけ用の帽子(ソンブレロやパナマ帽)を売っているのに気がつき、ちょっと見てみることに。何しろここメヒコは日差しが強烈で、なんらかの日よけ対策をしないと日中はまぶしくて仕方がない。しかも、僕は先ほど頼みのサングラスをなくしたばかりなのだ。せめて帽子でもと思うのは自然の摂理である。

僕が興味を示して帽子を見に行くと、当然ながらお店のおじさんがやたらと話しかけてくる。「帽子がほしいんだ」と言うと、店頭にあったパナマ帽を取り出し被ってみろという。なかなか悪くない。しかも、おじさん曰く、曲げても大丈夫の特殊仕様ということだ(本当かどうかは知らない)。値段は150ペソ(1500円)。思ったよりも安い。いくつか見せてもらった後に、結局最初の帽子を買うことに。でもあまり細かいお金を持ってなかったので、200ペソ出すと、お釣りがないという。出た!この中南米特有のフレーズ!以前にアルゼンチンに行ったときも、ブラジルに行ったときも、まったく同じことをよく言われた。でもないものはない。「モネーダ(硬貨)はないのか?」というので、財布の中身の硬貨を集めた20ペソそこそこのお金を見せ、「ペケーニャ(少ない)しかない」と言うと、ひとまずそれでいいという。でも足りないよと返すと、どうせまた帰るときにここを通るだろうから、そのときにもらうとかいう。まあ、そう言うならいいやということで、わずか日本円で1000円弱くらいの金額で帽子をゲット。結局僕はこのゲートを帰りに通らなかったので、その金額以上は払わなかったのだが、この帽子はその後もかなり役に立つことになる。ひとまずいい買い物をした。

ゲートをくぐってテオティワカンの遺跡(公園)内部へ。まだ時間が早かったためか、あまり人もいなかったが、その代わりに、中にもやたらとお土産売りの人の姿がたくさん。この物売りの多さはメヒコの特徴かもしれないが、とにかくどんな観光地に行っても、やたらと物売りに遭遇する。もう本当にうざったいくらいにつきまとうのだが、かといって悪気はないようで、割とあっさりあきらめたりするのもメヒコの物売りの特徴。しかもぼったくりということはなく、結構安かったりする。旅の後半になると、この物売りにもだんだん慣れてきて、結構買ったりするようになるのだが、まだこの時点では、荷物が増えるのもイヤだったし、とにかく追い払ってばかりいた。

テオティワカンの遺跡はとにかく広い! 中にあるピラミデ(ピラミッド)もかなりでかいのだが、全体のスケールが本当にでかい。そして、日を遮るものが何もない。つまり、炎天下の原っぱに放り出されたようなものなのだ。当然ながら日焼けする。帽子がなかったら、本当にやばかったと思った。入ってきたゲートは南のほうだったので、南のほうにあるケツァルコルトルの神殿あたりから見始めたのだが、ほとんどの人は真っ先に脇目もふらず、メインの太陽のピラミッド、月のピラミッドのほうに向かってしまうようで、ほとんど貸し切りみたいな状況で見学できた。ケツァルコルトルの神殿は、階段状になったピラミッドの表面を飾るケツァルコルトル(龍神)とトラロック(雨神)の彫刻が見もの。いきなり、メヒコに来て、見たかったものその1とご対面~と相成ったわけだ。


ケツァルコルトルの神殿。表面に残る彫像が見もの

その後、北のほうに向かい、巨大な太陽のピラミッドへ。でかい、でかいとは聞いていたが、間近で見ると本当にでかい。何でも、エジプトのピラミッドに続く、世界で三番目にでかいピラミッドなんだそうだ。当然ながら、上まで上ってみるわけだが、勾配がかなりきつくて、上るのもひと苦労。最近あまり運動してなかったので息が切れる。これでは、足腰が弱くなったら上れないな。まだまだ体力のあるうちに来られてよかったと思う。ようやくのことでピラミッド頂上に登ると、そこには周囲一面が見渡せる気持ちのいい眺めが広がっていた。メキシコシティ周辺は2000m級の高地だ。直射日光はきついが、風は爽やか。このテオティワカン周辺にはほとんど何もないが、それだけにアステカの頃から変わらないであろう、このあたりの風景がよく確認できる。頂上からの写真などを収めつつ、一休みしながらこの眺めを楽しんだ。


太陽のピラミッド。近くによると本当にでかい!登り切るのにひと苦労。でもてっぺんからの眺めは最高だった

太陽のピラミッドを降りてからは、その北にある月のピラミッドに向かう。このピラミッドは太陽のピラミッドより少し小ぶりだが、テオティワカンの中心部というべき場所にあるメインの建造物だ。ただ、こちらは頂上まで登ることはできず、半分くらいのところまでしか上れない。でも、勾配はこちらのほうがきつくて、上るのにはやはり骨が折れたが、ここから眺めるテオティワカンの風景も素晴らしかった。ここでも写真を撮ったりしてしばし休憩。テオティワカンで主に見るべきなのはこの3点だが、まあ満足したかな。来てからまだ2時間くらいだと思ったが、長居する理由もないので、近くにあるジャガーの宮殿を見つつ、帰路につくことに。最初のゲートまで戻るほうが無難だったが、元来た道を戻るのが何となく面倒くさいので、北の方にある「Puerta 3」というゲートから外に出て、バスを待つことに。でも、バス停らしきものが見当たらないので、駐車場の整理をしていたおじさんにバス停を場所を聞くと、道のこの辺で待っていればバスが来るという。ほら、あの2人のあたりと言って、指さした先には、これまた日本人観光客がいた。考えることはみんな同じか。


月のピラミッド。ここからまっすぐ南に「死者の道」という道路が延びており、テオティワカン全体をまっすぐ見渡せる

やがてバスが来て、料金を払って乗り込む。こういうときのために、その国の言葉で数字くらいはちゃんと勉強していったほうがいい。僕は一通りスペイン語の数字は言えるので、そこはスムーズにいった。ただ、このバスはダイレクトにメキシコシティに戻るというわけではなく、そのあたりの街をぐるっと回って、あちこちの停留所を回ってからメキシコシティに戻るようだった。一通り回って、さてそろそろハイウェイに乗ろうかというそのとき、銃を持った警察の検問ポイントみたいなものがあり、そこでバスがストップしたかと思うと、そのバスに乗っていた男性がぞろぞろと降りていく。何事か?と思ってみていると、どうもボディチェックらしい。僕も降りなくていいのかな?と思いつつも、まあ外国人だしいいだろとそのまま座っていたら、最後に中に女性の警察官が入ってきて、車内に残っていた主に女性たちのボディチェックと持ち物チェックを始めた。メヒコではこういうのが日常茶飯事らしく、実に事務的にてきぱきとチェックして何事もなかったが、なるほどこれがメヒコかと思った出来事だった。

(続く)
# by cama-d | 2012-05-22 00:02 | Mexico
Viaje en Mexico 2012 Dia 1
■Mexico1日目(Ciudad de Mexico D.F.)
(27 AVRIL 2012)

カナダ・バンクーバー経由のエアカナダで予定通り、20:00過ぎにメキシコシティのベニート・フアレス国際空港に到着した。今回アメリカ合衆国を経由しなくてよかったのは非常にラッキーだった。あの悪名高いイミグレの列に並ばなくてもよかったし、トランジットもものの10分程度で終わってしまった。あまりにすんなりいってしまったので、2時間以上のトランジットタイムを持ち余してしまったほどだ。バンクーバーの空港はWi-Fiも飛んでるし、待ち時間もインターネットやら何やらやっているうちに過ぎてしまった感じだ。


バンクーバーの空港にて

メキシコシティ ベニート・フアレス空港

さて、この日はすでに日も暮れているので、空港からホテルに行くだけ。ホテルに行く方法としては、タクシーかメトロがある。初めての街で夜のメトロに乗るのは少し緊張するが、何しろこちらはたったの3 ペソ(24 円くらい)だ。タクシーも安いが100ペソ(800円)くらいはするので、コスパを考えると圧倒的にメトロだ。「地球の歩き方」には「あまりおすすめできない」と書かれているが、まあ大丈夫だろう。ある本にも、メキシコ人は非常に親切だと書かれていたし、これまでの経験から言っても、メトロがそんなに物騒だったことはない。空港のロビーをほぼ一直線に突っ切り(長い!)、いったん外に出て少し歩道を歩いた先にメトロの駅があった。チケットを買って自動改札から入場。驚いたのは、メトロの中がまったく冷房が効いておらず、すごく暑かったこと。メキシコシティは標高2000mの高地にあるので、朝晩は冷えると書いてあったが、そんなことはまったくない。夜20:00過ぎでも十分に暑い。メトロの中はもっと暑い。思わず着ていたパーカーを脱いでしまった。あと少し驚いたのは、やたらとメトロに物売りが乗ってくること。物売り自体はヨーロッパなどでも珍しくないが、こっちの物売りはやたら数が多い。一駅ごとに誰かしら乗ってきて、大声で呼びかけてものを売っていく。中には、爆音のスピーカーを背中に背負って、CD(MP3)を売っている人もいる。それも、みんな迷惑に思っているかと思いきや、結構買ったりしている(ガムとかCDとか)ので、これは極めて一般的市民権を得ている商売なのだろう。しかも、売る側もあんまり押し付けがましくなく、サラッとあきらめて次に行くというスタイルなので、何だかおもしろい。


メトロのホーム。意外にきれい。でも車内にエアコンはない

そんなこんなもあったが、途中いったん乗り換えはあったもののメトロは無事、目指すInsurgentes駅に到着。人も大勢乗っていたし、まったく危険な雰囲気もなく、たどり着いた。ひとまず「SALIDA」の目印を頼りに他の人の後を付いて外に出る。と、そこは普通なら大通りか広場がありそうなものだが(地図によればそんな感じだった)、なんと普通の円形広場のような場所で、目印になるようなものが何もない。しかももうすでに暗いので、どこにいるのかさっぱりわからないのだ。ひとまず何か目印をと思い、多くの人が向かうパッサージュのような場所を通っていくと、何とそれが目指すGenova通りだった。何とラッキーな。しかし、すでに夜22:00近いというのに、ものすごい人だ。この日は金曜日ということもあるのかもしれないが、若者などでごった返している。目指すホテルは、この通りをしばらく行き、Londres通りというところで左折するはずなのだが。一応大体のホテルの地図は頭に入っていたので、何となくここかなというあたりをつけて曲がってみると、ズバリそこでした。ホテルは難なく見つかり、かなりスムーズにたどり着けてしまった、おそらくタクシーに乗るよりも早かったろう。


広ーいホテル。ソナ・ロッサの繁華街のど真ん中!

ホテルの部屋はかなり広い2部屋構成。寝室の前にリビングがあり、ベッドもキングサイズ。洗面所もバスも大きくて非常にいい感じだ。実は結構安く(1泊4,500円くらい)このホテルを予約したのだが、これは当たりだった。繁華街に位置することもあって、夕食などを食べるのにはまったく困らないし、コンビニも近くにる。メトロの駅も遠くない。実にいいホテルだった。


やっぱりメヒコといえばコロナでしょ!

エンチラーダ。日本で食べてたものとはモノが違うって感じ。やや酸っぱいソース

さて、機内食続きでそれほどお腹も減っていなかったのだけど、やっと着いたので少しだけビールでも飲みたいと思い、近くのカフェバーへ。待望のセルベサと、タコス、エンチラーダを頼む。タコスの味は、日本ではまったくお目にかからないようなもので、これが現地のタコスかーと思ったりしたが、実はそれほどおいしくなかった。まあ最初の夜だしこんなもんでしょ。ホテルに戻ってシャワーを浴びて就寝。ホテルはWi-Fiも完備していたので、寝る前にひとまずtwitterで現状報告をする。明日は、いきなりテオティワカン遺跡に向かう。

# by cama-d | 2012-05-21 01:40 | Mexico
Le Macchine a Ferrara


2007/5/6
A Ferrara

外国を旅するときに、なにかしらその国のプロダクトや建築設計などに興味を持っていると、なんでもない町歩きが、ものすごく楽しいものになったりする。僕の場合、それは自動車だ。

僕は、イタリア、フランスの自動車が好きで、これまでにも数台乗っているのだが、そんなことをしているうちに、そこそこイタリア、フランスの自動車についても詳しくなってしまった。そもそも、僕がイタリア車を好きになったのは、12年前にイタリアに住んだときのことで、それまではイタリア車はおろか、自動車そのもにもさして興味がなかったのだから、変わったものだ。

僕が好きになったイタリア車は、いわゆるスーパーカーのようなものではなく、アルファロメオのような高級車でもない。日本ではあまり見ることのない、いわゆる普通の「ゲタ車」と呼ばれるような大衆車を好きになったのである。メーカーで言えば、FIATのような会社。車種でいえば、PandaやUnoといった、日本でいえば、トヨタ・スターレットとか、日産マーチというようなクラスの車に惹かれてしまったのだ。どこがいいと言っても、なかなか難しいが、そこにイタリアの日常が詰まっているから、としか言いようがない。日本車とはちょっと違ったドライブフィーリング、意外に座りやすいシート、細かい部分で飽きの来ないデザイン。そんなものと、それに乗って走ったミラノ近郊の風景みたいなものがいっしょくたになって、僕の自動車観を大きく変えてしまったのだ。

そんなわけで、僕はイタリアの街を歩いていても、ついそこら辺に停まっている車に目が行ってしまう。実は、街によっても、走っている(あるいは停まっている)自動車の種類は微妙に違ったりするからおもしろい。ローマは首都ということもあるし、道路が狭いので、比較的高級な車や外車、それとSmartのような小回りのきく車が多かったが、ここFerraraは、何となく保守的な土地柄を繁栄して、圧倒的に国産のFIAT車が多い。僕自身もFIATに乗っていることもあって、日本ではあまり見かけなくなった僕の好きな車や、まだ日本には入ってきていないさまざまなFIAT車をパチパチと撮影してしまった。それがこれらの写真である。

一番上:FIAT Uno。日本ではもうほとんど見ることがなくなったが、僕の一番好きな車
二番目:LANCIA Y10:これもUno同様僕の好きな名車。こんなにきれいな個体は久々に見ました
三番目:FIAT IDEA:日本には入ってきてないFIATのミニバン。こんなのあったら買っちゃうかも
一番下:FIAT GRANDE PUNTO:この前年くらいに発売されたばかりの最新モデル。まだ日本にはなかったと思う

イタリアの自動車には、独特な味がある。好きになったらちょっと離れられそうにない。

# by cama-d | 2009-04-12 23:02 | Ferrara
Il Giardino del Paradiso


2007/5/6
Nel Museo, Ferrarra

Ferraraの街を南に歩いていき、街の南のほうにある、古い館を使った美術館を訪れる。FerraraにはFirenzeみたいな輝かしい美術作品はないし、まあ中に入っても、この建物の壁画が有名(と言っても地元の人の間で有名というレベルなんだろうけど)という程度で、入る前からおおよその想像はできてしまったのだが(イタリアに長くいると、こういうことに簡単に感動しなくなる・・)、まあせっかく来たのだから、ということで入場料を払って一通り回ってみる。

内容としては、予想通りだったので、あえて触れることもないが、その建物の中庭にステキなカフェテリアを発見。日曜のまだ午前中ということもあって、お客さんもほとんどいない状態(ランチに向けて支度中)だったのだが、その静寂さと、その場が醸し出している平和さとが、妙に鮮やかに感じてしまった。中庭の緑も美しく、意外に緑が少ないイタリアの街の中にあって、ここだけ、ちょっと異質な雰囲気をかもしだしていた。

もしかして天国というものがあるとしたら、こんな中庭のような場所なのかもしれない、とふと思ってしまった。

# by cama-d | 2009-03-08 23:03 | Ferrara
Camminando a Ferrara


2007/5/6
A Ferrara

日曜の午前中、Ferraraの街をぐるっと歩いてみる。
市街地はそんなに大きくないので、1時間もあればぐるっと回れる距離だ。
イタリアのほとんどの都市はこんなサイズなので、手頃だし回りやすい。
見るべきものは大体中央の広場付近に固まっているから、
普通の観光客はこんな裏通りまでやってこないと思うが、
特に意味はなくても、こういう通りを歩いて、その街の空気を感じるのが好きだ。
日本でも、東京でも、同じようにして歩くこともあるが、やはりこういうそぞろ歩きなら、
イタリアの街にかなうものはないんじゃないかと思えてくる。
それぞれの街にそれぞれの顔があって、それぞれの生活がある。
小さいけれど、ほかの街とは必ず違う何かが、イタリアの小都市にはあるのだ。

Ferraraの街は、取り立ててどうというような街ではない。
イタリアの個性的な都市の中では、むしろ地味だ。
しかし、その地味さが、逆にイタリアの中で際だっているという感じもする。
ここにはフィレンツェやヴェネツィアのような優雅さ、豪華さはない。
ボローニャやパルマのように開けた感じというのもそれほどない。
歴史的にも地理的にも近い街として、北のMantovaがあるが、
あちらのほうが、どちらかというと、観光都市っぽい風情がある。
Ferraraはどこにも似ていない。すべてがそれなり。言い換えれば均整の取れた街だ。
しかし、この街には、ほかの街に負けないほどの歴史と、文化がある。
「エステ」と聞けば、イタリアではおそらく知らぬ者のない、名君の一族。
そのエステ家が治めた、独立都市国家Ferrara。
その息吹は、この均整の取れた、質実剛健ともいうべき、街の空気の中に今でも漂っている気がする。

# by cama-d | 2009-03-05 01:24 | Ferrara
Il Gatto sulla Finestra


2007/5/6
A Ferrara

Ferraraの街を歩く。
街を歩くと言っても、いわゆる繁華街を歩くのではなく、普通の路地を歩く。
街のCentroもいいが、こういう普通の路地を歩くのも楽しい。
特に、中世の雰囲気が色濃く残るイタリアの小都市では、路地歩きなしには、絶対に旅を楽しめない。

Ferraraの街も、そのほとんどが古い建物でできている。
Milanoのように戦争で破壊されることもなかったし、Romaのようにやたらと古すぎたりということもなく
おそらく200-300年くらい昔に建てられた建物が多い。

Ferraraという街は、中世は小国ではあっても独立を保ってきた国であった。
FirenzeとVeneziaという二大共和国に挟まれた土地で、領主であるエステ家を中心に
どちらにも組みしない中立外交を保ってきたFerrara。
そのおかげもあり、派手な戦争に巻き込まれることもなく、今でも美しい街並みを保っている。

そんなことを考えながら、Ferraraの路地を歩いていると、
歴史の刻まれた家の窓から、1匹のネコが僕らを見下ろしていた。

# by cama-d | 2009-02-28 17:13 | Ferrara
Camino dalla Finestra


2007/5/6
A Ferrara

Ferrara2日目の朝は、昨日までとは打って変わったいい天気。
そう、イタリアはこの空がないと!

窓を開けて、朝のFerraraの空気を吸い込む。
空が高く、青い。まさにAzzuro! これぞイタリアの空だ。

ローマでは今ひとつしっくりこなかった感覚が、ここFerarraでは何となく落ち着いてくる。
ローマや南のイタリアとは違う、「北」独特の空気感。そして、静寂さ。
ここFerraraは本当に静かな街だ。しかもこの日は日曜日。
街はまだ眠っているかのように静けさに包まれている。
こういう、何でもない、イタリアのどの街にでもある日常。
この感覚を僕は感じたかったのかもしれない。

さて、今日はどうやって1日を過ごそうか。

# by cama-d | 2009-02-28 16:45 | Ferrara
Passagio di Ferrara


2007/5/5
A Ferrara

フェッラーラに着いて感じた最初の感想は、一言で「静か」だということだった。
ローマのような大都会から来たせいもあって、フェッラーラの街はとても静かに感じる。
単純に、街が大きい・小さいだけの問題ではない。街の持つ表情が違う。要するに、この町の人々はおとなしい。ローマのような、なんというか「やんちゃな」感じはない。極端に言えば、ローマのようなイタリアはここにはない。やはり、ここはNordである。実に久々に味わうNordの感覚がここにはあった。

夕方、今晩の宿泊先に荷物を置き、まだ日が落ちていなかったので、夕暮れの街を歩いてみた。Ferraraは、中世15-17世紀くらいの古い街並みがそのままに残っている街だ。多くのイタリアの街がそうであるように、道はそれほど広くない。そしてその道の両側に、同じ高さの建物が連なっている。ちゃんと目印を覚えておかないと、絶対に滞在先に帰れなくなりそう。そんな街である。

夕暮れ時、人通りはそれなりにあるし、バールもそれなりににぎわっている。でも、ローマのようなざわついた感じや、ミラノのような都会っぽい感じはここにはない。みんなが顔見知りで、近所同志、そんな親密な雰囲気が漂っている。それほど観光地というわけではないので、外国人の姿はほとんど見かけない。日本人もここでは結構珍しいほうだろう。きっと、なじめばすごく住みやすい街なのだろう。でも、ただの通りすがりの旅人にとっては、より孤独感を強く抱かせる、そんな街だ。

Ferraraの街には、車もほとんど通らないような裏通りがたくさんある。写真もそんな裏通りの一つ。日が暮れて灯りがともると、少し幻想的な中世のような雰囲気になる。これで霧が出たら、なおいっそう幻想的な風景になるのだろう。しかも街は本当に驚くほど「静か」だ。路面に響く、コツコツという足音だけがこだまする。でも、まったく危険とかそういう雰囲気はない。ここは田舎だ。そして安全である。都会のようなガツガツした感じもないし、南の街のような経済的な暗さもない。そこそこ裕福で、そこそこ安全で、街並みは美しく、人々も柔和だ。北イタリアの中でも、きっと何本かの指に入るほど、この街はいい街なのだと肌で感じる。ただ、それゆえに、旅人にはいささか寂しさだけが募る。
# by cama-d | 2008-10-19 22:43 | Ferrara
Arrivo a Ferrara!


2007/5/5
Alla Stazione di Ferrara

ローマからペンドリーノで北上すること約4時間。
途中、中世の街が多く残るアペニン山脈の緑の中を抜け、「花の都」フィレンツェを過ぎ、学術都市ボローニャを抜けて、エミリア・ロマーニャ州に入った。ローマは晴れていたのに、フィレンツェを過ぎたあたりで雨がぱらつきはじめ、ボローニャに着いたときには、どんよりとした雲が空を覆っていた。
そう、ここはRomaではない。Nord(北イタリア)なのだ。僕が12年前に過ごしたミラノをはじめとしたイタリアの先進地域Nordなのだ。

ヴェネツィアSt.Marco行きのペンドリーノは、ボローニャを出ると次はFerraraに停まる。ボローニャからわずか15分ほど、田舎の雰囲気が広がるFerrara駅に降り立った。今回の旅の第二の目的地だ。

Ferrarraは、イタリアの中世史にでも興味がある人以外、日本人はほとんど知らない街だ。軽く説明しておくと、イタリア中世の独立都市国家としてFerraraは有名な街で、南のフィレンツェ公国と、北のヴェネツィア共和国、そして西のミラノ公国といった強大な国に挟まれながら、大変文化的な国を作ったことで知られている。Ferraraを治めていたのは、中世イタリアにこの家あり、といわれた名家「エステ家」。ちょうどFerraraの北に位置するMantovaのゴンザガ家とともに、文化や芸術に対して大変理解のあった貴族である。そんなわけで、Ferraraは、中世文化が色濃く残る、今でも大変文化的な「古都」ともいうべき街になっている。

とはいえ、現代のFerraraはというと、さして大きな産業もないため、それほど繁栄している街ではない。もちろん北イタリアの都市で、ボローニャやヴェネツィアなどにもほど近い場所なので、みなそれなりに裕福だ。それでいて、周囲は完全な田園地帯であり、ミラノやボローニャの近郊のようなごみごみした感じもない。小さなローカルタウンではあるが、そこにはそこはかとない文化と伝統が香っている。つまり、この街は、イタリア人にとっても、非常に住みやすい街ということなのだ。

僕の持っているFerraraに対する事前知識はまあこんなところ。12年前のイタリア滞在時には、縁がなくて訪れることのなかった街だが、今回、イタリアに留学中の彼女が滞在しているという縁で訪れることになった。この街には2日ほど滞在し、それから最終目的地パリに向かう予定となっている。

この街でしたいこと? もちろん、そんなものはない。
イタリアの田舎街まで来て、何かをしようなんて思わないことだ。とにかく時間の流れに身を任せ、ただのんびりと時間を過ごせばいい。それだけだ。
# by cama-d | 2008-10-13 18:18 | Ferrara


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