Viaje en Perú
Dia 1 Narita~Atlanta~Lima
(26 Avril 2013)
ペルーに行こう。そう本気で思ったのは、今年の3月に入ってからだった。でも、なぜ急にペルーへ行こうと思ったのか。
実は、僕にとって、ペルーという国はそれほど近い国ではなかった。元々ラテンアメリカが好きで、この4年間は立教大学のラテンアメリカ研究所に通い、いろいろなことを勉強してきた。その中で、自分で勝手に「修学旅行」と銘打ち、ここ数年は、毎年のようにゴールデンウィークにはラテンアメリカへと飛び出している。要は実地検分である。習ったばかりのスペイン語を試してみたいということもあった。
まず初めに行ったのは、やっぱりアルゼンチンである。アルゼンチンはもちろんタンゴの故郷であり、僕がもっとも行きたかった場所だ。そこへ行くのには何の問題も戸惑いもなかった。帰り際にはもうひとつ行きたかった場所であるブラジルのリオにも寄ることができ、大満足のうちに旅を終えた。そして次に僕が向かった場所はメヒコだった。実は、僕は元々メヒコにそれほど強い関心があったわけではない。ただ、ラテンアメリカの歴史などを学ぶにつれ、メヒコという場所の重要性がどんどん増していった。よくよく考えてみれば、そこにはアステカやマヤの遺跡もある。そして2012年は、マヤ暦が終わっている「最後の年」だった。これは行かねばなるまい、ということで、半ば勢いで飛び出したのが、昨年のことだ。
そして今年、3回目のラテンアメリカ行きで考えた場所がペルーだった。なぜペルーだったか。ひとつには、前年にスペイン語を習っていた先生がペルー人だったこと。その先生は、僕がまったく知らなかったペルーという国の扉を少し開けてくれた。そして、ひとつには、前年にアステカ・マヤ文明の遺跡を巡ったため、次はやっぱりインカだろうという必然性のようなものを感じたこと。そして、もうひとつは、マチュピチュやチチカカ湖、ナスカといった、かつて夢見た場所がそこにあったことを思い出したことである。特に、最後のマチュピチュやナスカに代表される一大観光地というのは、おそらく10人に聞けば10人ともが「いつかは行きたい」と答える場所である。僕もぼんやりそう思っていた。「いつかは・・」と。でも、よく考えたら、僕もすでに40歳を超えている。正直あと何回海外旅行に行けるかわからない。特に標高が4000mレベルの高地とか、登山を伴う山岳地域とかは、足腰が丈夫なうちでないといけなくなるのではないか、そんな気がしてきた。であれば、ラテ研最後の年の卒業旅行としてペルーに行こう。地理的にも、カリブ海沿いのメヒコ、太平洋側のアンデス地域であるペルー、大西洋側のアルゼンチンとブラジルというように、バランスが取れる。ほかにも行きたい場所がなくはないが、ひとまずこの3か所を押さえれば、何となくラテンアメリカを俯瞰できる。そんな理由から、僕は今年のゴールデンウィークにペルー行きを決めたのだ。
思い立ってからの行動は早かった。まずは格安航空券を調べる。しかし、ペルー行きのフライトは結構埋まっているようだった。ペルーに行くためには、一度アメリカ合衆国でトランジットする必要がある。乗り換える都市としては、LA、NY、アトランタ、マイアミといった都市があったが、ゴールデンウィーク前後のフライトはやはり混み合っていた。そこでダメ元でツアーを探してみた。僕は海外旅行でツアーをあまり使わない(だいたい一人旅だから)のだが、探してみたら一人旅用ツアーというのがあって、いわゆる追加料金なしで、ホテルの一人部屋が使えるという。確かに個人で手配するよりも数万円高めになるが、いろいろ調べてみると、現地の旅行会社で向こうのツアーに申し込んでも、それほど変わらないことがわかった。そもそもラテンアメリカは、交通の便が不便な場所が多く、公共交通機関を使った旅はできなくはないものの、結構なタイムロスになることを、これまでの2回の旅で僕は学んでいた。せっかく遠いペルーまで行くのに、無駄な時間は使いたくない。できる限り効率よくあちこちを回ろうと思ったら、やはりバスが使えるツアーが断然便利だ。ツアーなら、車の手配をいちいちする必要もないし、ホテルを探す必要もない。バスに乗り遅れるとかそんなこともないはずだ。いろいろな場所のチケットも込み。さらには朝食とか昼食とかもセッティングされている。これは楽だ。これだけのいろいろを自分で手配することを考えたら、数万円の手数料を払っても割に合う。そう思った僕は、この一人旅ツアーというものに参加することにした。
実は、僕は3年前にアルゼンチン~ブラジルの周遊旅行に行った際も、このようなツアーに申し込んでいた。しかし、現地に着いてみると、ツアーの同行者はおらず、ツアーと言っても、僕の一人旅+ガイドさんということになった経験がある。だから、今回ももしかすると、行ってみたら僕一人とかだったりして、という思いはあった。そもそもゴールデンウィークとは言っても、往復だけで3日くらいかかるラテンアメリカはそれほど人気がない。ペルーだって、まあそんなもんだろう。それくらいに思っていたのだ。しかし、その考えは大きな間違いであることを後になって知ることになる。
日程の都合で、ゴールデンウィークを1日前倒しにして、金曜日の午後、成田からデルタ航空のアトランタ行きに搭乗する。座席は右側3列シートの窓側。隣には日本人の若いカップル(あまり海外旅行に行ったことのなさそうな感じ)が座った。それにしても、ペルーに向かう日本人は多そうだ。みんなガイドブックを見ているから、行き先はわかる。中には、いわゆる添乗員随行のパックツアーの方々もいて、結構高齢な方々も多そうな感じだ。これまでラテンアメリカといえば、バックパッカー的な人しかほぼいなかったことを考えると、ペルー行きの飛行機は何というか、非常に日本人満載である。ペルーって日本人に人気あるんだなーと改めて思った。
さて、飛行機は特に問題もなく、13時間ほどのフライトを続け、経由地であるアメリカ合衆国のアトランタへと向かっていた。このアトランタで、リマ行きの飛行機に乗り換えるわけだが、この乗り換えには若干の不安があった。というのも、トランジットの時間が1.5時間くらいしかない。あの9.11以降、アメリカの出入国管理は異様に厳しくなっていて、以前ニューヨークへのフライトで入国審査に時間がかかり、国内線に乗り継げなかったことがあったのだ。以降、アメリカでのトランジットは1時間では絶対無理。2時間あってもセーフタイムとはいえない、というのが僕の考えなのだが、今回は1.5時間程度。結構時間に余裕はない。
飛行機はアトランタの国際空港にオンタイムで着陸した。しかし、何かのトラブルなのかなかなか降機できない。ここですでに15分くらいのタイムロス。降機したら急いでイミグレに向かう。ほとんどが成田からの乗客で、なかには海外旅行慣れしてないおじさん、おばさんもたくさんいる。案の定、イミグレで英語がわからず、そのたびに日本語がわかるスタッフがあちらこちらの窓口に呼び出される。しかし、スタッフは1人だけなので、なかなか進まない。しかも、何となくではあるが、この空港の係員はやる気のなさそうな感じに見える。動作もなんだかもっさりしていて、なかなか列が進まない。時計を見ると、ボーディングタイムまではすでに20分程度。なんだかイヤな予感がしてきた。でも、この飛行機に乗ってきた、おじさん、おばさんを含む多くの乗客がリマに向かうはずだ。僕はともかく、この団体旅行のおじさん、おばさんははたして間に合うのか??
そうこうしているうちに僕の順番が来た。まあたいしたことは聞かれず、行き先を聞かれたくらいでパス。急いでボディチェックを済ませ、再度入場。しかし、この空港も、アメリカのほかの空港と同じく、結構広い。リマ行きの飛行機は、ターミナルが離れた場所にあり、空港内の地下鉄で向かう仕組みだ。これではお手上げである。もうボーディングタイムまで10分だが致し方ない。やがて、地下鉄が来てターミナルを移動し、リマ行きのボーディングゲートに着いたのは、ボーディングタイムからすでに10分経過した時間だった。これでも、着いたのは早いほうで、ほかの日本人乗客はこの後でぞろぞろとやってくることに。先ほどの団体旅行グループも何とか間に合ったようだが、結構シビアなトランジットだった。
というわけで、何となくバタバタとトランジットを済ませ、リマ行きのデルタ機に乗る。さすがにリマ行きの便はペルー人らしき人が多く、CAも一気にラテン系になる。ラテン系のCAは結構気さくでやさしいので好きだ。女性は美人も多い。そして驚いたことには、このアトランタ発リマ行きの飛行機にも、日本語がわかるCAが搭乗していたこと。日本語でのアナウンスをはじめ、日本語でのいろいろなリクエストなどに応えていた。ほかの中南米に行く飛行機で、こんな経験したことがない。さすがペルーは日本人に人気の観光地なのだなあと、またしても感心したのだった。
アトランタからリマまでは9時間程度のフライトだった。それでも機内食2回と、おやつ1回が出て、ちょっと食べ過ぎだろという感じだった。アトランタを出たのが、現地時間の13時くらい。リマに到着するのが、時差もあるが、夜の22時というところ。日本を出てから、25時間くらいの長旅であるが、それでもブエノスに行くのに比べたらだいぶ近い。飛行機はカリブ海を南下し、コロンビアを抜け、ペルー上空へ。そして定時の22時すぎに、飛行機はリマのホルヘ・チャベス国際空港に到着した。
この時間なので、空港も空いているかと思いきや、意外に空港はごった返していた。どうも、この時間にアメリカ方面から到着する飛行機が多いようで、結構多くの乗客がイミグレに列を作っている。どう考えても、1時間はかかりそうな長蛇の列だ。今回は、ツアー参加なので、空港を出たところでツアー会社のドライバーが待っているはずだが、これではどうにもならない。やれやれと思いながら、ひたすらイミグレの列をのろのろ進む。さすがに長旅の後でもあるしイライラするが、これがラテンなのだ。慣れるより仕方ない。だいたい、ツアーなんで、僕が出てくるまでは絶対待っているはずだ。こういうところは、個人手配じゃなくてよかったのかもしれない。
待つこと1時間くらい、ようやくイミグレを抜け、スーツケースをピックアップし、出口へ向かう。出口の前に両替所があったので、ひとまず手持ちのドルを当面の分、100ドルだけ両替する。この後タクシーを呼ぶ必要はないが、明日も朝早いはずなので、最低限、水くらい買えるお金は持っておきたかったのだ。しかし、なんだか騒がしい。時折歓声のようなものが聞こえてくるのだが、何かスポーツイベントでもやっているのだろうか。
出口を出ると、すぐにツアーの出迎えが見つかった。行ってみると、まだ僕のほか2人くらいしか来ておらず、まだ6名くらいいるのだという。「イミグレが混んでたでしょ?」と聞かれたので、「すごく混んでましたね」と答えると、「いつもそうなんです」と、旅行会社の人。どうやら、ここリマのホルヘ・チャベス空港は、イミグレに時間がかかる空港のようである(別に厳しいわけではない)。まあこういうところも、ペルー人の国民性なんだろうか。そして、出口のところを見ると、若い女の子達が集まって奇声を上げている。なんでも、韓国のアイドルグループ「SUPER JUNIOR」というのが、チリから今日ペルーへ移動してくるんだそうで、その出迎えのファン達とのことだった。ああ、こういう光景は日本だけではないのか。それにしても、韓流の人気は国際的のようである。結局、SUPER JUNIORは出てこなかったようだが、こんな夜遅くまで女の子が出歩いてるなんて、ペルーって国は相当安全なようである。結局出口で1時間くらい待って、最後の人が集まったのは、すでに日付が変わった0:30くらい。こういうところはツアーのめんどうなところである。足は確保されているので心配はないが、早くホテルに行って眠りたい。でもここは団体行動。個人の一人旅とは違う。
全員そろったところで、駐車場のミニバスに向かう。待っている間にミネラルウォーターを買ったのだが、バスに乗るなり、ミネラルウォーターが1人1本支給された。何だ、だったら買わなきゃよかった。どうも今回のツアーのメンバーは、僕も入れて男3名、女6名の計9名らしい。比較的若い女の子が多い。なんだか僕のイメージしていたラテンアメリカ旅行とは違う感じだ。何しろ、3年前のアルゼンチンへの旅行の際には、ツアーと言っても僕一人しか参加していなかった。ゴールデンウィークくらいの期間で旅行するのには、南米は遠すぎるし、日本人には不人気なのかと思っていた。やはり、ペルーは違う。
ホテルのあるミラフローレス地区は、空港とは街を挟んで逆の方向にある。すでに深夜で交通量は多くないとはいえ、ホテルまで30分くらいはかかる。その間、同情していたガイドのミゲルさんから、ツアー中のいろいろな説明を受ける。ミゲルさんは、日系ペルー人だが、日本語はペラペラだ。なんだかこう異国に来た緊張感があまりない。それもペルーならではなのか。説明の中で、ペルーはドルも結構使えるという話を聞く。だったら、あまり両替しなくてもよかったかもなーと思う。まあ、それほど多くの金額ではないので、すぐに使ってしまうだろうとは思うが。
やがて、バスはミラフローレス地区のホテルへ到着。まずはロビーに集まり、明日以降のスケジュールや、必要なバウチャーなどの入った書類を渡され、説明を受ける。説明が終わった頃には、すでに2:30くらいになっていた。明日は6時出発ということで、5時起きで朝食というスケジュール。となると、寝られるのはあと3時間くらいか。明日は飛行機で一気に3399mの高地、クスコへ向かう。高山病には十分な睡眠が重要と、さっきバスの中で聞いたばかりなのだが、これではどうしようもない。いやいや、ツアーって結構過酷だな。
もらったカギをもって部屋に行き、軽くシャワーを浴びてこの日はとにかく寝る。とはいえ、時差ぼけとか、隣の建物あたりから響いてくるディスコテカの音とかであまり寝付けない。でも何とか寝ようと頑張る。それが、僕のペルー1日目の出来事だった。